翌朝、レセプションのフロアに降りると、宿のおかみさんが野菜とホブス(ナンに近い中東のパン)、ゆで卵にヨーグルトの簡単な朝食を出してくれた。夕べ聞こえてきたボートについて聞いてみると、やはりこのホテルの裏からスピードボートが発着し、15,000ディナール(1,500円)でクルーズができるようだった。食後早速申し込んだ僕は宿の若い従業員に乗り場へ案内された。エレベータで地下に降りると、そこは水辺に面しており、チャイを飲んでしばらく待っているうちにやがて一艘のスピードボートがやって来た。
他に乗客はおらず、僕と宿の兄ちゃんが乗り込むと、モロッコ出身だという船頭がハンドルを握って勢いよく船を出発させた。
写真も動画も撮っていいから前に座りなと促され、船の一番先頭を陣取り、水しぶきを軽く浴びながらエンジン音と共に颯爽と水面を走り抜ける心地よさ。童心に帰れる一時だった。
ここはそもそも何だろう。幅10メートルぐらいの川の両岸には土色のなだらかな丘。そこに平屋の民家がへばりつくように時々見られる。水辺に茂る草木からは水鳥の親子が現れたり消えたり。途中でボートは方向転換してホテルの方に同じスピードで逆戻りし、20分程のクルーズは終わった。後で知ったのだが、ここは川ではなく正にドゥカン湖の一部。その形状に惑わされたが、道理で川らしい流れは無かった。
宿の兄ちゃんから外貨を換金できる場所を聞くと、夕べケバブを食べた食堂の隣にある携帯ショップで換えられるとのことで、早速そこで30ドルを43,500ディナールにチェンジ。軽く湖を見て回ってからラニヤに戻ろうと思い近辺をうろつくと、一人のじいさんがタクシー? と声をかけてきた。湖の要所を回ってからラニヤに行きたいという意思を伝えると、じいさんは95,000ディナール(9,500円)だと言う。それ、今換えたディナールでも全然足りないじゃん。そもそもそんなにするのか。他を当たってみようにも、別のタクシーは全く見当たらない。やむなくこのじいさんとしばらく交渉を続けて70,000ディナールまで下がったが、それでもディナールが足りないので、もう一度携帯ショップで30ドルの追加交換をお願いする。過去に訪れたシリアやレバノンでは少額のドル札も普通に流通していたのだが、ホテルの支払いの時に見られたように、この辺りではなぜかこれら少額のドル札を嫌う傾向があり、何で最初から100ドルで換えないのかと二度目の換金を渋られた。さっき換えた額じゃ足りなかったんだよと懇願して何とか換金することができたが、こんな田舎町で思わぬ出費を余儀なくされたことに苛立ちを覚えた。だが今日の深夜のフライトでイラクを立つ僕にとっては見るべき所を早く見て、早くエルビルに戻ることを先行しなくてはならない。モヤモヤ感は残ったもののさっさとお金を払い、じいさんのタクシーに乗ることにした。
舗装されていないゴツゴツした細道を走りながら、じいさんはドゥカン湖のいくつかの風景スポットを回ってくれた。英語がほとんど通じないので、始めの頃はただお勧めの風景を指差すだけで停まってさえくれなかったが、写真を撮りたい時にこちらからストップと言えば停まってくれることがわかってきた。
目に入るその風景は周囲の岩山だらけの地形の中では異様な程にブルーに輝く水を蓄えている。まるで河川そのもののような見た目の不思議な湖なのだが、元々は50年代前半、当時イラクを支配していたファイサル王政が灌漑目的で小ザブ川という川をせき止めて作った貯水池らしい。
乾ききった険しい山々と対照的なこのブルーの風景をしばし楽しんだ。ネットでドゥカン湖を調べればもっと美しい絶景の写真も見られるが、集落の気配が無いのできっとここからは遠いのだろう。とりあえず湖見学が一段落した所でタクシーにはラニヤに向かってもらうことにした。最終目的地はエルビルなのだが、ラニヤにはガラッジ(バスや乗り合いタクシーのターミナル)があることを知っていたからだ。そしてもし昼時に到着できれば、ニワトリ屋の弟が経営するクルド料理店に行ってみたかったという目的もあった。
そんなわけで、言葉も通じずあまり愛想も良くないじいさんが運転するタクシーは黙々とラニヤへと走り出す。岩山を縫うような道路、時々見える小さな集落をひたすら走る静かな時間が過ぎていく中、ふと時計を見ると正午を過ぎていた。この分だとラニヤ到着は2時近くになるかもな。そう思った時、じいさんはふとある建物の前で車を停めた。
ちょうど町と町の中間地点にある日本で言うドライブインのような食堂だった。できることならラニヤのクルド料理店で食事したかったが、このじいさんだってそりゃ腹の減る時間帯だろうし、ここは仕方無いか。店内はだだっ広い割に食べている客はまばら。店員が持って来たメニューはほとんどケバブぐらいしか置いてなさそう。やっぱり外食と言ったらケバブしか選択肢が無いのか。じいさんは僕が席に着くのを確認するとそそくさと店の裏の方に行ってしまった。なるほど、こうした食堂には運転手が食事する専用スペースがあるのだろう。特に彼と会話もできないし、ここは一人さっさとケバブに食らいつこう。ここでもエルビルで食べた時と同様、ケバブとホブス、それにカレー風味のスープとミネラルウォーターのセットで5,000ディナール(500円)だった。
イラク三日目にもなればケバブの食べ方も多少は慣れてくる。ナイフで長いケバブ本体を何個かに分け、野菜と一緒にホブスにくるんで口に放り込む。僕が食べ終わった頃に奥からじいさんが戻って来た。彼も奥で食事を終えたのかなと思っていると、おもむろに僕の座るテーブルの席に着き、店員を呼んで僕と同じケバブを注文した。
「え? じいさん、これから食べるの?」
彼が奥の方に行ったのは運転手の食事スペースではなく、正午のお祈りをする小部屋のようだった。やがて彼が食べ終わって勘定する際、予想は付いていたが彼の分も負担する形となった。ラニヤまで行くのに70,000ディナールも払ったじゃん、それに含まれてないの? ちょっと言ってはみたがじいさんは首を横に振る。結局二人分10,000ディナールの出費。じいさんは食事のセットに付いてきたミネラルウォーターを僕に手渡しながら若干申し訳無さそうな表情をしていたので、一応彼の好意ということで受け取った。
「じゃ、ラニヤのガラッジまでよろしく。」
出発の時はラニヤの行先までは言っていなかったが、ここで食事してしまったのならラニヤの街中に行く必要は無くなった。ガラッジまで行ってエルビル行きの乗り合いタクシーに乗り換えよう。
「おお、また会ったな! 行っていいよ!」
ドゥカンとラニヤの間のチェックポイント。車から降りた僕を覚えていてくれた兵士、笑顔で握手するとすぐに通してくれた。
やがてラニヤのガラッジに到着。タクシーのじいさんに別れを告げた僕は早速近くにいた係員にエルビル行きを尋ねると、すぐに該当する車を教えてくれた。それは隣国シリア等でセルビスと呼ばれる乗り合い型の軽ワゴンバスで、エルビルまでは6,000ディナール。後部座席に座って出発を待っていると10分もしないうちに三、四人のグループ単位で人が乗り込んできて、瞬く間に車内は満員となった。こうして密着して座ると彼等クルド族は大柄な人の率が高い気がする。この人々は特に僕に関心を持っていないようだったので、ここから約二時間窮屈さを我慢しながら、ただ黙々とエルビルに向かうのだった。